大河ドラマ今昔

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篤姫が終わり、日曜夜の楽しみも終わった。大河ドラマは昔から好きだ。1980年代、サンフランシスコ地区での日本語放送は週末夜の時間帯しかなかった。当然、放送される番組は限られていた。

定番はNHK大河ドラマで一週間遅れで放送された。その他何本かのドラマも放送され、毎週末の家族の楽しみだった。記憶に残るのは、おしん、男女7人夏物語、金曜日の妻たちへである。

数少ない番組だったから、大河ドラマはよく見ていた。月の半分はホテル住まいだったときはビデオに収録して時間の空いたときの楽しみにした。一回だけ、大河ドラマの放送が途中で打ちきられたことがある。

「二つの祖国」だった。サンフランシスコやサンホセには日系人の方が多く住んでいるが、年配の方々にとっては辛い戦争の頃の話は思い出したくもない記憶である。そういう人たちの反対があって、番組の放送が中断されたと聞いた。

週末の楽しみがなくなって残念だったが、そういう事情、悲惨な戦争時の体験をもつ人たちの心情を思えば中断も仕方がないと納得した。

1980年代アメリカで見た日本の番組は、日本の世相を知る大きな情報源だった。会社が認めて家族で日本に一時帰国が出きるのは三年に一回という時代だったから、日本の情報に飢えてもいたのだろう。

アメリカでの楽しみだった大河ドラマは、滝田栄、役所広司、そして今は亡き夏目雅子らが出演した「徳川家康」を皮切りに、西田敏行、鹿賀丈史、田中裕子ら出演の「翔ぶが如く」まで、いまも強く記憶に残っている。なかでも1987年、仕事面で大きな局面を向かえて多忙だったときに放送された「独眼竜政宗」は唯一とも言える楽しみだった。

思い起こしてみれば、週末の大河ドラマを心待ちにするようになったのは「独眼竜政宗」からだったようだ。それ以前は、日曜夜家にいて、所在無くテレビを付けるときはNHKというくらいで断片的にしか見ていない。ましてや心待ちにすることなどなかった。テレビ番組を見ること以外にやることがたくさんあったからかもしれない。

アメリカ在住で放送される日本の番組が限られていたということもあるかもしれないが、「独眼竜政宗」はやはり面白かったのだ。そう思ったのは私だけではなかった。ウィキペディアで確かめたら、なんと平均視聴率は39.7%で歴代トップだと書いてあった。さもありなんと納得した。ついでに見たら「二つの祖国」というのは山崎豊子原作の題名で、大河ドラマは「山河燃ゆ」だった。

ウィキペディアを読んでいるとそれぞれの時代背景が思い起こされる。大河ドラマがはじまったのは1963年、第一作は幕末の大老・井伊直弼の生涯を描いた「花の生涯」、そして「赤穂浪士」、「太閤記」と続く。私が高校生のときで、東京オリンピックやケネディ暗殺事件などがあった時代だ。

家業を手伝い、アルバイトをし、勉学に勤しんでいた(?!)私にテレビを見る暇などなかったし、尾上松緑、長谷川一夫という戦前の俳優が出演するドラマなどに興味はなかった。「太閤記」で主役を演じたのが、今年10月に亡くなった緒方拳だということすら知らなかった。追悼番組を見てはじめて知ったくらいだ。

最初の駐在を終えて日本に戻るとテレビは見なくなった。そして二回目の駐在、「吉宗」、「秀吉」を見るようになったが、一番記憶に残るのは「毛利元就」だ。それまでは歴史上の人物として名前と「三本の弓矢」の逸話を知っているだけだったので、その生涯の話に関心があった。優柔不断で慎重で保守的という、戦国の武将としては意外な姿が新鮮だった。

「人生には三つの坂がある。上り坂と下り坂、そして『まさか』だ」という警句や「謀多きは勝ち、少なきは負ける」の教訓は、この番組で学んだ。

(当初書くつもりだった篤姫のはなしが大河ドラマの思いで話になってしまった。続きは明日だ。)