約50年前、叔父夫婦が藪入りの時に、当時珍しかった8ミリカメラで撮影した動画。
8ミリ映写機のスクリーンをVHSカメラで撮影したものをデジタルに変換し、さらにWeb用に編集したものである。

 昭和の家族

昭和35年頃の正月&盆
(布施の叔父撮影)

戦後15年、高度経済成長がはじまる昭和35年頃に撮影された。私が中学校に通いだした頃だ。父が後を次いで祖父母は隠居していた。最初に写っているのが私の祖母(当時56歳)だ。祖父が見初めて16歳で嫁入りしたと聞く。祖父より8つ年下だが、しっかり者で家の実権は祖母が握っていたようだった。村の人気者で威厳ある家長だった祖父も、この「おうのさん」を頼りにし頭が上がらなかったのではないか。惚れた弱みだったのかも知れない。

村の道を歩く祖母

祖母が歩いているのは家の前の通りである。すでに舗装がされており子供時代の風情はない。かつては村の中を小川が流れ、大根やじゃがいもを洗ったり、洗濯をしたり、調理具を洗ったりしたものだ。夏は小魚を取ったり水遊びをする川だった。露草の合間にはホタルもいた。縁台をだして夕涼みをしながら将棋をしたりした村の道だったが、この頃から三種の神器が普及し、村人は家でテレビを見るようになって夕涼みや子どもたちの遊ぶ姿が消えていった。映画「ALWAYS三丁目の夕日」で描かれた昭和の情景がなくなっていくのは田舎の村でも同じだった。

隠居部屋

棟上が終わって外装中の二階建て2Kの家が写っている。母屋に二階があり蚕を飼っていたが、当時は物置になり住めなかったので祖父母の隠居部屋として建てられた。同じ頃、祖父の妹(大叔母)の一人が大阪に嫁いだが夫を亡くし子供もいなかったことから生まれ故郷に戻ってきた。この大叔母を住まわすために二階も作られたが、一度家をでた女は二度と実家に戻らないという古い考えから大叔母は入居を固辞した。結果として長男の私が使うことが許された。この家はいまも残っているが物置になっている。

ポッポにいちゃん

叔父は父の末弟で多感な15歳の時に終戦を迎えている。戦後の混乱期にしばらく電車の運転手をしていた。運転席の近くに乗せてもらった記憶があり、電車のことを幼児語で"ポッポ"といったことから叔父さんのことを"ポッポにいちゃん"と呼んでいた。

その後鉄道会社を辞め丁稚奉公をして自動車の修理技術を学び、自動車の修理・販売事業を始めた。

自動車産業の黎明期にいちはやく業界に身を投じた叔父には先見の明があったのだろう。事業は順調に発展し、当時珍しい外車に乗る身分になっていた。

私は少年時代、この叔父から多くの刺激を受けた。中学生のときにはSwallowという750ccの大型バイクを貸してもらって乗った記憶がある。無免許だが、村の駐在さんから「気をつけろよ!」と言われるだけの寛容でのどかな時代だった。このほかにもテープレコーダや空気銃、蓄音機などに触れることができたのも叔父のおかげだった。

村の中での生活だけでは知り得ない機械・電気文明の息吹を感じたのが、その後の私の好奇心や進取の気性を育んだのではないかと思う。この叔父だけでなく、映画館の支配人をしていた上の叔父や年齢的に一番近かった叔母、そして祖父の姉妹夫婦たち、村のおばあさんたちに育てられたのだと思う。家族や地域で子供を育てたのが、核家族化が進む前の昭和の時代だった。

布施の叔父叔母

少年時代の私にとって大阪は大都会で、出かけるときはひとつしかない運動靴をはき、それなりの服装をして気を引き締めて行く、異次元の場所だった。父方の叔父叔母が独立して所帯をもったのが大阪だ。兄妹の縁で、三人とも近鉄大阪線の布施駅の近くに住んでいた。現在の東大阪市である。

貸本屋

夏休みは一人で布施に行った。叔母と二人の叔父の家に寄り、それぞれの家に泊めてもらった。布施駅の近くには貸本屋があった。少年の好奇心を刺激する本がたくさんあった。何冊も借りて読むのが楽しみだった。戦後全国に急増した貸本屋には、江戸川乱歩や手塚治虫を始めとする大衆小説家や漫画家の作品があって読者層を増やし、怪奇漫画や貸本劇画などの新しい文化を生み出した。2010年NHK朝の連続テレビ小説「げげげの女房」に描かれていた時代だ。そうした文化の恩恵を受けた読者のひとりであった。

映画館巡り

上の叔父は当時映画館の支配人をしていた。東宝系の映画館だったと思うが、支配人仲間のよしみで東宝系以外の映画館にも無料でもぐりこんで見せてもらえた。東宝系では言わずと知れた「社長シリーズ」・・・森繁久弥、加藤大介、小林圭樹、司葉子、淡島千景などの俳優が懐かしい。東宝・東映・日活・大映など日本映画全盛の時代だったが、私の田舎には映画館はなかった。数年に一度くらい旅回りの座がやってくるのが村の人たちの楽しみだった。

日常の娯楽はなにもなかった時代だから、当時の少年にとっては都会に出かけて映画を見るのが最高の贅沢だった。私は恵まれていた。日本映画に飽きると洋画専門の映画館に行った。カーク・ダグラス、チャールトン・ヘストン、トニーカーチス、ジョン・ウェインなどの俳優に憧れたものだ。
<つづく>


落語「藪入り」の舞台を歩く

 美しい十代 |  長谷寺 

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